2020.12.3

すっかり日にちが経ってしまった。
まとめられないまま途中まで書き溜めていた月々の文章を一度に載せます。
あの子がいなくなって5ヶ月。
ついに来月で半年になるのに、まだ時間の感覚がうまく掴めないままだ。
空気はすっかり冬を思い出したようで、冷気をたっぷりと含んでそこかしこで待ち構えている。
冬場のフローリングを歩いてきたきみの、冷たくなった肉球を思い出す。
「ひえひえだね」と言って、ひざの上に抱きかかえた前脚の先をやさしく揉みほぐすようにすると、気持ちよさそうにのどを鳴らす音。
何もないわたしにただひとつあった、日々の幸福の音。
叫び出したいような、泣き出したいような、何とも言えない気分のとき、よくベランダでシャボン玉を吹く。
愛煙家たちはおそらくこういう気分のときにタバコを吸いたくなるのだろうな、と思いながら虹色にひかる泡をいくつも作っていくのが好きだった。
ベランダに出る気配を察知して、きみもたいていわたしと一緒に外に出る。
わたしが吹いたふわふわと流れるたくさんの玉を見つめて、首をかしげるところがとても好きだった。
手を出そうとしては引っ込めて、逃げ出しては追いかける。そんな姿を見ているうちに、わたしのむしゃくしゃした気持ちはいつのまにか霧散してしまうのだった。
わたしの猫がいなくなったベランダで空中に浮かんでいる泡たちは、どこかさみしげに見える。
行く宛もなくあっさりと消える球体の姿が、すこし羨ましく思えた。
いまだにあの日から、きみの名前を言えないままでいる。
話の流れで言葉にする機会は何度もあったのに、わたしは意識的にも、無意識的にも、口にするのを避けた。
心のなかで唱えるだけでも勝手に涙が出てきてしまう。
記憶が薄れてしまわないように、きみは確かに存在していたのだと、たくさん語り継いでいくべきなのに、わたしはまだ心の奥底ではきみの死を受け入れられていないのだ。
名前を口に出して思い出を語ることは、決定的に"過去形"の響きを持ってしまう気がする。それすらも怖くて、そういうふうにしゃべる自分を想像するのも嫌なくらいだ。
たった二文字の、あまりに特別な響き。
丸まったいのちの大きさとぴったり同じだけのくぼみが出来上がることがもうないだなんて、嘘みたいだなと、きみの気に入りの毛布を自分のベッドに用意しながら思う。